日記・趣味
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大学院の卒業式
9:30に慌てて起き、11:00に講堂へ向かう。
安田講堂に入ったのは初めてだった。卒業式の開式早々、文学部の現役学生によるモーツァルト「ディヴェルティメント ニ長調 K.136」の演奏があった(youtubeのリンクはこちら。)。講堂には、2階席の端の部分(ステージの斜め上)に演奏ができる小さなスペースがついており、そこに曲を弾く学生たちが入り演奏を行うのである。こんなことをする大学は、恐らくこの大学のみであろう。
学長の話はよく覚えていないが、「変化の激しい時代において、学問研究の精神を受け継ぎながら新たな知見を常に見出すこと」みたいな感じだったと思う。
卒業式が終わり、母親と記念撮影をしたあと、私の研究室がある駒場キャンパスへと一人向かい、学位記を受け取った。学位記を受け取ると、大学から30秒程度のインタビューを求められる。私は、「研究室の方々は、私に最高の環境を用意してくれました」と嘘をついた。
その後は研究室へと向かった。私の研究室は今年度は5人卒業する予定だったが、博士課程から留年と退学者が1人ずつ出たので、実質卒業するのは3人である。3人で記念撮影を撮ったあと、軽くお茶会を開いた。
私の同期の女性は修士課程を修了し、4月から博士課程へと進学する。話によると、彼女もはじめは就職する予定だったが、いざ就活を始めてみると、どの仕事にもあまりにも興味がなかったので、就職を諦めたのだという。
彼女は、自分は論文を書いて卒業できるのだろうか、と不安な心境を述べた。本当にそのとおりである。研究費や生活費も支給されず、将来への不安の中で成果を出すことのプレッシャーは尋常ではないことは私もよく知っている。この不安の故に、私は研究者の道を諦めたのだから。
帰り際に、研究室にある場の量子論の教科書(リンクはこちら)をパラパラと眺めた。おおよそ800ページもある英語の本である。私はこの本を学部の頃に熟読しており、内容にはかなり親しみがある。しかしこの内容とももう、お別れである。
私の大学生活とは何だったのだろう。ずっと将来は物理学の研究者になりたいと考えていたにも関わらず、こんなにも早く大学から去ってしまう。今までの自分は何だったのだろうか。
私から「物理」を取り除いてしまったら、それは一体何者だろうか。漠然とした虚しさ、掴みどころのない心境が自身の中で終始渦巻く。それを振りほどくかのように、私は大学を去り、暗い帰り道をただ一人歩いて帰った。
(2022/3/24)